「努力」という言葉が消えていく・・・

by manager

今年のはじめのニュースで、好きな言葉ベスト10とか何とかいう話題を聞いた。早く文章にしようと思っていたが、今年も早くも半分が過ぎようとしているので、記憶の方も定かでなくなってきた。ともかく、今覚えているのは、「努力」という言葉は最近ずいぶんランキングを落とし、「根性」に至ってはだいぶ前からランク外だった。昔?我々の若い頃は、例えば修学旅行等で旅行に行くと観光地には、例えば、鳥取砂丘や天橋立・・・どこでもいいがともかく当地の名物の置物(だいたい木製の置物の類いすら最近は少なくなっているが)には「努力」とか「根性」と書いた札がついていた。テレビアニメにしても、「巨人の星」や「アタックNo.1」など根性ものが多く、夢に向かって「努力」するということが常識(美徳)であった。それが今や若者は「楽してそこそこの暮らし」(楽して大金持ちではない)を求めるものが多い。我々の実験生物学においても、かつて人気の分子生物学は、今やブルートフォース(力仕事)をいやがる若者には3Kの職業に近くなりコンピューターを使ってシステム生物学・・・この流れ自体は決して否定しているものではないが。精神論だけでは何ともならないのも事実かもしれないが、精神論がないとどうしようもないのも事実である。大学院生やポスドクは、「プロ」の研究者になるためのトレーニング期間である。プロのスポーツ選手、例えばプロ野球選手にしたって、その中学、高校時代のトレーニング時代は自分の生活100%が野球の時代があったはずである。世間が土日やゴールデンウィーク、夏休みや正月であっても野球漬けの毎日であったはずである。イチロー選手のような超一流になるためには「努力」に「能力」が必要だろうが、「能力」だけではないのは明らかである。「能力」が普通でも「努力」すれば、超一流にはなれなくとも一流には慣れる可能性は(若者には)ある(と思いたいではないか)。とにもかくにも、何が何でもやり遂げる「努力」、夢に向かって「努力」することが失われていくことほど悲しいことはない。故沼正作先生は「努力は無限」と言われた(そうな)。あんなに優秀な先生ですら「努力」されていたのだから、我々が「努力」しないでどうする!

 

内匠 透