霞に消えぬ思い:「金太郎飴になるな」「研究のない医学に将来の医療はない」

by manager

                                   前 広島大学医学部教授 内匠 透

 僕にとっては 、大学ほぼイコール医学部である。広大医学部に来る前にも、医学部を卒業して、大学院も、そして助手や講師といった若い教官時代も、2年余の米国留学(マサチューセッツ工科大学)を除いて、ほぼ20年をいろいろな大学の医学部キャンパスで過ごしてきた。8年の大阪での研究所生活を経て、再び医学部に戻ってきて感じたのは、医学部がより 専門学校化したことであった。医師国家試験の日程が早まり、CBTやOSCEといった全国共通試験が導入され、ますます医学部生は金太郎飴になっているように思えた。CBTなんぞは、本来そのために時間を割かなくてもいいような学生の方がかえって無駄な試験勉強で若いエネルギッシュな自由な時間を失っているようにみえた。 医学教育カリキュラムの重要性が叫ばれ、基礎教員の役割は、臨床医学に必要な 一定の 基礎医学教育をするという当たり前の事を 、 少なくなった授業時間の中で効率よく教えていく予備校講師の仕事のようになっていた。6年生の中には実際に予備校の授業をネット配信で受講している者も多いと聞いて、そんなものは(旧)国立大学には無縁と思っていたので驚いた。
金太郎飴になるな」:若い教官時代から学生に言ってきた。何もしなくても医学部は、授業実習等々で皆と同じようにやっているだけで、他学部と比べるとそれなりの充実した学生生活を送っているように錯覚する。卒業試験、国家試験、それに今はCBT, OSCEも加えて、普通にしていれば皆普通の医者になっていく。 入学時にはそれぞれユニークな学生も卒業時にはみんな同じ医者の卵になっている。勿論、日本の医療全体にとっては必要かもしれないが、広大医学部としては面白なさすぎるではないか。山中伸弥先生のようにノーベル賞をとる人や医者になったとしても 天野篤先生のように天皇陛下の手術によ ばれるような名医、あるいは渡辺淳一のような作家、ともかくバラエティーにとんだMDがほしいと僕個人は思っている。医者をやりながら趣味で○○という先生は結構いらっしゃるが、僕はプロとして○○に「挑戦」するくらいの変わった医学生を育てることをよしとしていたので、執行部の先生方には 認識違いでご迷惑をおかけしたかもしれない。それぐ らい外れた教育をやったと しても残念ながら今の時代なかなか豪傑にはあたらない。
僕は基礎教員の最大の役割は100人余の医学生の中から一人でも将来のMD研究者を育てることだと認識していた。自分自身が基礎の大学院に進むと決めた時、恩師の中西重忠先生からは「君は親の面倒を見なくてよいのか」と経済的な心配をされたが、今の時代、「学問するものは苦学して云々」というのは学生には通用しないのはわかっていたので、基礎をやっても臨床に負けない生活ができると見栄をはって(学生のために?)グリーン車やファーストクラスを使った(これは嫁さんからはひどく文句を言われたが)。普段の教科書の授業は準備不足な事もあり学生さんには迷惑をかけたと思うこともあるが、課外授業には最大限の時間をかける努力をした。「広島サイエンスクラブ」(実際は教授会でも正式に認められていたのだが残念ながら認識度はゼロに近い)と銘打って、放課後ごくごく一部(1名、2名?)の学生に「サイエンスとは?」を熱く語った(つもり)。
(基礎研究をやろうという)自分のような変わった学生はやはりなかなかいないと思い始めて、少し方向転換をした。こんな自分も学生時代は研究室に出入りはするものの長続きしなかったのだから、今の学生に授業の合間に研究室に出入りしろと言ってもなかなか難しいのも理解できた。自分のように一生基礎研究をやる学生を探すのではなく、臨床に行く学生こそ学生時代に研究生活を経験する必要があるということをわかってほしかった。研修システムがかわり、多くの学生が卒後一般市中病院で研修する。前期研修だけでなく、後期研修、そして専門医をとる。卒後10年以上(近く)大学を離れて臨床すると、その先にあるのは医学ではなく医療である。現在の医療を施していくにはそれも大事な事であるが、将来の新しい医療を作ることはできない。
研究のない医学に将来の医療はない」:臨床に進む学生にこそこの意味を伝えたかった。医局に入らない医者には、学生時代しか学問、研究に触れる機会はない。その意味で、最近「医学研究実習」が始まったというのはいいことだと思う。山中さんも(恐らく)医学生の時代に(故)西塚泰美先生のような一流の研究者から影響を受けたからこそ、臨床でたち止まった時に(他科への進路変更ではなく)研究という道を選んだのだと思っている(まだ本人に確認していないが)。「ちゃんとした」研究の経験のある臨床医は、研究そのものだけでなく、臨床の中でもその経験が活かされているはずである。以前は皆が入局し、好むと好まざるにかかわらず何人かは基礎教室で学位をとるということが全国的に行われていたので、医学部は地方でもいい研究をする研究室が存在していた。 ともかく 臨床に進んだ者の中で少なくとも10%くらいは何らかの型で「いいサイエンス」を自ら経験してほしいと伝えた(かった)。
今再び大学を離れて研究所(理化学研究所脳科学総合研究センター)にいる。今さら言うのも未練たらしいが、僕は決して教育が嫌いではなかったので、若い学生と触れ合う機会がなくなり、寂しい思いをしている。「医学研究実習」の学外研究室として、再び広大医学部の学生さんを受け入れるのを楽しみにしている。また将来 広大から金太郎飴医者ではない医者がでてきてくれることを心底期待している。
私の座右の銘の一つは「邂逅」である。 一緒に霞に来た学生よりも 僕が先に卒業?してしまうという 短い期間ではあったが、 霞で広大医学部で 、そして広仁会では様々な 出会いがあった。この出会いを大事にしてこれからも 微力ながら広大医学部を応援していければと思う。皆様本当にありがとうございました。

                                 (広仁会会報 第84号, 2013から)